ともりの蹴球戦記

サッカーを基本に、気付いたこと、思ったことを気ままに書いていきます。

ワールドカップアジア予選の不毛な戦い:日本代表vsカンボジア戦

昨日行われた試合を見て少し考えてしまった

 

それはカンボジア代表が「何のために戦っていたのか」だ。

 

ワールドカップアジア予選は、ワールドカップ出場のために鎬を削る戦いのはずなのに、カンボジア代表には、勝 いや突破するための少しの可能性に欠ける戦いをする事に意義があるのではないだろうか。

 

昨日の試合を終えて、日本の報道は日本代表の不甲斐なさを叫んでいるが、もちろんそこは否定するつもりもない。

 

カンボジアはFIFAランク180位の格下だということを考えれば、しいてはフルメンバーをそろえた日本代表なら圧勝してあたりまえ。

 

3点取って勝ったからと言って、素直に称賛は出来ない。

 

しかしそれだけでは説明がつかない、このつまらない試合を、なぜそうなったのか考える必要もあるのではないだろうか。

 

1点取られてもゴール前にバスを置いたままのカンボジアは何がしたかったのか。

 

先ほども言ったが、ワールドカップ予選はワールドカップに出場するために戦う予選である。

 

決して他チームを落とすのが目的の戦いではないはずだろう。

 

確かにカンボジア代表は、このグループでは圧倒的に実力に劣る国だということは分かる。

しかしそれでも、1%でも0.5%でもある確率に掛けて戦うのが筋じゃないだろうか。

 

ワールドカップ予選は勝ち点方式を採用しているため、ほかのチームより少しでも勝ち点を稼ぎたいはずなのだ。

 

その点シンガポール代表は称賛出来る。

 

最後まで日本に点を取らせないで守り切ったのだから。

そこは攻撃に出られなくてもしょうがない。

 

しかしカンボジアはというと、1点取られてもバスを置いたまま動こうとせず、まるで日本代表を3次予選に進出させないためのサッカーをしているようにしか感じられなかった。

 

アウエーと言うことを考えても。

 

負けて当然、失点数を減らすだけの試合をして、果たして突破の可能性が広がるのだろうか。

 

日本代表も昔弱い時代に引いて守る戦いをしていたが、それでも1点取られたら取り返さないと勝ち点が入らない。その為に少しでもラインを上げ、カウンターを常に狙う戦いをしていた。

 

技術で全く勝てない相手に、一矢を報いるために。

 

そんな戦い方が感動を呼び、日本国内が徐々に盛り上がってきたのだろう。

 

必死に・・・それでも惨敗することが多かったが、それでも突破するためのプランを作り、弱者の戦いを実践していたから可能性が徐々に広がったのだろう。

 

カンボジアはサッカー人気もかなりあり、国民性的にも気骨があり素晴らしい民族だということを知っているからこそ、昨日の戦いが少し寂しくも感じた。

 

アジアの戦いで格上ばかりを相手に辛いゲームをこなしているのはすごくストレスがたまる事だ。

 

ただ、そんな状態でもたとえ1%でも突破の可能性を信じた戦い方をしてほしいと感じたのは僕だけではないだろう。

 

日本が全試合引き分けで、ほかのチームで星の取り合いをして日本が突破できず。そんなシナリオもあるのだから。

 

勝てなくても負けない戦いを選択するのであれば、負けてるときは1点取り返さないとその予選はそこで終わってしまうのだ。

 

最後にもう一度言いたい。

カンボジアはサッカー人気もかなりあり、国民性的にも気骨があり素晴らしい民族だということを知っているからこそ、昨日の戦いが少し寂しくも感じた。